私について(ふみこさん・ふみコーンさん・隊長・ティーチャー・先生)
20年ほど学校で勤め、特別支援や探求学習を専門に学んできました。(中・高校の免許は国語です。)
しかし、長男の子育てをするにあたり、「枠にはまらない子の教育」という壁にぶつかりました。
「学校って何だろう?」葛藤の末、自分自身も学校に行けなくなりました。
少しずつ変わっていく学校の中で、「未来の公立学校はきっとすてきになっていく」と、信じて勤務を続ける日々…
でも心の中では、日々の業務と、夢見る教育とのギャップで苦しくもがいていました。
その後、復職しましたが、今度は長男も学校に行かなくなりました。
小学1年生のわが子を留守番させて、自分は学校で働く日々。一度学校を離れようと思いました。
いま保護者の皆様の気もちがわかるのは、型にはまらない長男を育ててきた経験と、学校での特別支援の経験、先生として学校に行けなくなった経験。つらかったけれど、それらがあるからだと思います。
スクールを立ち上げ時の思い
「未来の公立学校はきっとすてきになっていく」と信じ学校勤務を続けていましたが…日増しに、「未来まで待てないな。我が子も、周りの子たちもどんどん育っていってしまう。」という危機感ももつようになりました。
また、
「学校に合わないというだけで、学ぶ機会が奪われてしまう子たちをどうにかしたいい…。」
という思い(はがゆさ?)が強くなっていました。
どんな子が集まるのか?本当に子どもたちが集まるのか?
まったく予想もつかないまま、自宅にてスクールを立ち上げました。オープン時に考えていたのは次のようなイメージです。
- 個性(持って生まれた個性を大切にすること。つぶさない。強いところを隠さない。オールマイティーじゃなくていい。凸凹がいい。凸凹多め。でも、皆のパワーを集めると、どんな学校にも負けないパワーになる。そんな学校にしたい。)
- こころ(みんな一緒を無理強いしない。一人一人違う。教えられる道徳性ではなく、共生していくうえで積み重ねていく道徳性。心の技能を身につけていく。アンガーマネージメント。実行機能のアップ。SST。心・脳をきたえていく。)
思い付きをメモしたものですが、今でも大事にできている気がしています。
スクールについて
わたしのおうちに来てくれた1人目の子。
すてきなその子の周りに集まってきた2人目、3人目のすてきな子。
一人一人に合わせて、みんなで化学反応を起こしながら今のスクールになりました。
学校に戻った子たちも含め、全員がいたからこそできたスクールです。親御さんの思いにも支えられています。
時間割も、取り組む教科も、内容も、みんなで考えてきました。
今では、中身のある、立派な学びの場になりました。感謝の気持ちでいっぱいです。
「おうち学校」「フリスク」「フリースクール」「おうちの学校」「小さなおうち」いろんな名前で呼ばれていますが、それもいいなと思っています。
わたしが「ふみこーんさん」「隊長」「ティーチャー」いろんな名前で呼ばれているように。